自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

043.

今の世の中、とにかく特権を得よう得ようの欲望で動いている。医者でも弁護士でも公務員でも、すべてテストを受けてなるのだが、本来はその仕事をするための資格テストであるものが、特権のための切符のように思われている。むしろそれが常識である。だから学校教育も受験勉強偏重の内容にもなれば、落ちこぼれの問題にもなる。中学生の犯罪が増えたりすることにも、世の中全体の特権競争がもはや遠因といえないほどの契機となっていることが十分見て取れる。
 大蔵や日銀の腐敗体質が、今になってようやく暴かれはじめた。とりあえず銀行の接待が問題として取り上げられているが、呑んだり食ったりはもちろん本質的なものではない。それは裁量行政の象徴にすぎない。大蔵や日銀の幹部が証券会社や銀行の幹部と排他的な会合を持つこと自体がすでに特権者同士の談合である。聞けば、たいていの場合、役人側も証券・銀行側も、東大の同じゼミの仲間だったり先輩後輩の間柄だったりするのだそうで、何のことはない、同窓会をやっているのだ。ただの同窓会ならどちらが金を出そうが関係ないが、そこで商売関係の情報をやりとりする。役人は大いに金儲けのネタになる情報を商売側に流す。あるいは商売側の便宜を秘かに図ってやる約束をする。
 そして、役人は金銭の授受さえなければ贈収賄ではないと自分に言い聞かせているが、当然その先には「天下り」への計算がある。そうでなくとも、同窓生仲間による日本支配を固められるという意識があり、回り回って自分の個人的利益になって戻ってくるという潜在的な目算がある。
 だいたい薩長政府が官僚育成のための便宜でつくった学校出身者に、いまだに支配的権限のある官僚構造になっていることが不合理きわまりないことである。教育に関して言えば、日本は後進国ではない。国土の中に何千もの大学があり、生まれた子供の3人に1人が通算16年間もの教育を受け、また大学に進まずともそれ以上の専門教育を受けた人間はごまんといる国である。