自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

024. 昔の人の心性

 時代が変われば人の心も変わる。昔の人の日常的な心性がどのようなものであったか、歴史文書を読んでもそれだけで分かるものではない。なぜなら、その時代においてあまりに当たり前であり、常識的であるようなことは、記される必要がないゆえに文書化されないであろうから。
 「横並び意識」は良くないもののようにいわれるのが現在では一般であるが、じっさいのところ、現代人と戦前の日本人の心性の違いはそこに根本があるように私には思えるのである。
 古代や中世は知らず、江戸時代以降の日本人の精神の根本原理は「横並び」であって、これには当然、江戸時代には将軍、明治以降は天皇という「絶対者」の前の平等という意識がはたらいていると考えられる。
 むろん、指導者層というものはあった。官僚とか実業家、政治家は、一般大衆を良かれ悪しかれある運命に導くエリートであって、横並び意識は比較的希薄だっただろうが、それでもある局面では横並び主義を発揮している。まして一般大衆にあっては、とにかく出る杭は打たれる、あるいは出る杭を共同で打つ思想を強固に信奉していたのが現実であったろう。
 私の子供時代のことを考えてさえ、今とは全然違う。教師が何か問題を示して、答が分かる者、と問う。誰一人挙手しない。そこで教師が指名して尋ねると正答を言う。分かっているのになぜ挙手しないと責められても、困ったように黙っているか、ニヤニヤ笑うのみ。そんな子ばかりだったのである。
 人と違うことが恥ずかしい、という風潮も支配的だった。小学校の運動会には、子どもはみんな巻きずしの弁当を持ってくる。ふだんの時の弁当は、みんな申し合わせたようにオカズの部分を弁当箱の蓋で隠して食べる、という妙な不文律もあった。これはただ単に自分の貧しいオカズを人に見られないためだけなのではない。そういう習慣を守ることによって、他の貧しいオカズの子どもが恥をかかなくてもすむようになっているのである。一面まことに因循姑息であり、他面非常に心優しい配慮であったりする仕掛けなのだ。息が詰まるような閉塞と、救い合いの安らぎの中で、昔の日本人の大半は生きていたのである。
 幕末、明治維新も、先覚者である志士たちが進めたように簡単に考えがちであるけれども、その実は幕閣や藩の中での、集団同士の内部抗争から始まるのであり、仲間という共同体意識の延長線上で勤王派も佐幕派も行動していくのである。よくよく見れば、殺し合いをしている者同士の間においても、日本的な妙な温もりが、あるいは肉親的な熱があったりする。
 日本の昔とは、少なくとも近世以降は、そんな特徴がある時代なのである。
 そういう共同体的な「熱」が、恐るべきスピードで冷却し、消滅していったのが、高度経済成長を背景にした戦後の日本精神史の歩みだったとはいえないか。いや、戦後復興も高度成長も共同体的「熱」を一つの有効な原動力として進んだのであるけれども、その一つひとつの結果が、「熱」を同時に否定し消滅させてきたという、矛盾の歴史だったのである。
 いまや弁当のオカズを隠すような子はいない。紅白歌合戦も国民的番組でなくなり、テレビのチャンネルは飛躍的に増えて、国民がこぞって見るような番組はなくなった。自民党も分裂し、分裂した中でまた分裂しながら相互の違いは不明確で、なにもかもがなし崩し的に自己崩壊の過程を進めつつある。だんだん国が国でなくなり、かといって国際間の結びつきが強固になりつつあるというわけでもない。ただ資本主義が、というよりも資本主義の残滓が運動しているだけである。
 政治は何もリードしない。政治がリードされるのである。何に? 混乱と絶望の圧倒的なパワーにである。
 世界は悲劇を待っている。歴史はいつも悲劇を待ち、悲劇を迎え、悲劇を越えてきた。悲劇はいつも迎えねば越えられないのか。未然に越える英知は、まだ人類の中に育っていないのか。