自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

002. 悪役の魅力

 テレビのトーク番組を見ていたら、もと悪役専門で後には善玉役も演じるようになった役者が、
「悪役の方が役者には面白い」
と言っていた。その理由は、
「善玉役というのは型にはまってしまうところがある。その点、悪役には創造の喜びがある」
というのであった。
 示唆に富んだ言葉だと思う。
 もし人間が、砂漠の蜘蛛のように一人で生きて死ぬものであるとすれば、その行動に善も悪もありはしない。ただ本能の赴くままに行動するまでであって、他者がいない以上は倫理というものが成立しないからである。
 倫理、すなわち善悪の観念は、最終的にいえば理想社会を成立させる理念である。すなわち理想社会を成立させる行動が善であり、それを阻害する行動が悪である。しかしどういう行動が理想社会を実現させるかは見解の分かれるところであるから、少なくともそれをめざした行動か自分さえよければそれでいいというエゴを押し通す行動かということで一応は判断しなければならない。
 しかし考えてみれば、理想の社会というのは個々人があらゆる束縛から解放され、自由奔放に本能の赴くままに行動できる社会であろうから、本能全開で生きる生き方こそ究極の善ということにならざるをえない。「悪役には創造の喜びがある」というのは、結局そのあたりを意味した言葉ではないかと思うがいかがなものだろう。
 本能のままに行動するだけでは悪役とはいえない。本能にプラスするエゴイズムがあってこそ悪役である。その自覚があるからこそ創造的なのである。悪人であることと悪役であることは根本的に異なる。単なる悪人というものがあるとしたら、それは単なる善人同様つまらないものであろう。