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社史編纂・記念誌制作

   社史づくりの五原則など基本的なことについては「社史制作の5原則」からご覧ください→

社史110番

これからの新しい社史って?

 「会社が80周年を迎えるということで、社史制作の担当者にさせられてしまいました。だいたい「社史」ってものがなんだかよく分からない上に、トレンドというか、最近の社史の傾向も考えて作るようにと言われて困っています。何かヒントはありませんか?」

お答え

 「社史制作の5原則」でも書いているように、「社史」とはその会社の「経営史」です。会社がどのように経営されてきたかを調べた「論文」でもあり、「歴史書」でもあります。

 文字で見れば「社史」は「会社の歴史」の短縮語です。「会社の歴史」なら「経営史」だけが会社の歴史だけではなく、工場の裏で地域ネコが仔猫を産んだとか、事務所に泥棒が入ったとか、会社の野球チームが県大会で2位になったとか、そんなことを何でもかんでも含めて会社の歴史だろうと考える人があるかもしれません。

 もちろん、そういうことも確かに「会社の歴史」です。しかし、逆に、それが「社史」かと考えると、だれしも「変だな」と思うでしょう。もうちょっと「会社の本業」が中心に来ないと「社史」じゃないんじゃないか、と考えるはずです。

 ここでわかることは、「社史=会社の歴史」とだけ考える「変なこと」になるということ、本業について書かなければおかしい、ということです。

 では「本業について書く」とはどういうことなのでしょうか。

 会社の本業が家庭用の電気製品を作ることだとしましょう。話を簡単にするために、ずっとテレビだけを作ってきている会社だとしますと、本業の歴史とはテレビを作ってきた歴史にほかなりません。

 それでは、この会社は、ずっと同じテレビを作ってきたのかというと、決してそんなことはありません。いろいろなテレビを作ってきたはずです。なぜなら、社会は常に変化していくものであり(ここが重要なところです)、それに応じて求められるテレビも変化してきたからです。変化する求められるテレビを作り続けてきたからこそ、この会社は今日があるわけなのです。

 「今日がある」ということ——そこにはこのように必ず「歴史」があるのですが、その歴史は「求められるテレビを作ることができるようにしてきた歴史」です。そして「求められるテレビを作ることができるようにする」ことこそ「経営」にほかなりません。manage(経営)の本来の意味は「都合に合わせてなんとかする」ということなのです。

 こうして、「社史→会社の本業の歴史→経営史」ということになります。

 さて、「新しい社史」のお話です。

 「経営史」と言えば、「経営者」が主役のように思われることでしょうし、実際にあえて意識もされずそういう考えで多くの社史が作られてきています。経営者がいて、労働者がいて、経営者の指示の下、労働者は賃金をもらう見返りに働かされる——これが「会社」だというのが長い間の常識だったし、今でも相当程度にそれは通用している常識なのですが、その常識だけでは「社会の変化」に合わせていくのが難しくなってきています。社員が単なる「働かされる労働者」だという常識はだんだん通用しなくなってきているのです。

 現代の、またこれからの企業は経営者が会社の「舵取り」をするだけでは所期の経営結果が出ず、社員の、現場での、スキル的なものも含めた「経営判断」を得て好結果が実現できる場面が増えてきます。これからの社史=経営史の主役は経営者と社員であり、時には(というより、しばしば)立場が逆転することもあり得ると思われます。ある種の「社員持株制度」や「執行役員制度」などは、その予兆を含むものではないでしょうか。

 というよりも、経営というものは経営者一人の判断や指示だけで成り立たないのが当たり前で、昔からそれが「本質」だったのですが、少ない「情報」で経営ができた時代にはそれが目立たなかっただけなのです。全員で情報を最大限に持たなければならない高度な競争社会になればなるほど、「全員経営」が求められてくるのです。

 このように、これからの「新しい社史(経営史)」は、「全員経営」の経営史に変貌していくものと牧歌舎は考えています。