自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

122. 自分自身が自分のすべてか?

 自分は自分自身であってそれ以外のなにものでもない、と思っている人が世の中には非常に多い。
 しかし事実を言うと、自分は確かに自分自身であるけれども、それ以外のなにものでもないわけではない。
 たとえばここに自動車のタイヤがあるとする。このタイヤは確かにこのタイヤ自身であるが、もしこれがないとすると自動車が動かないのであるから、自動車そのものと呼ばれるべき本質を分かちもっているのであり、その意味でタイヤは自動車そのものであるともいえるわけである。
 つまり、タイヤは自動車の一部品であると同時に「自動車そのもの」でもある。ちなみに、もし「自動車」という名称は知っていて「タイヤ」という名称は知らない幼児におもちゃのタイヤを見せて「これは何?」と問えば、迷うことなく「自動車!」と答えるのである。
 自分は自分自身であると同時に人間である。むしろ自分自身というのは脳が自己の肉体保存のためのつごうから仮に設定した架空の抽象的観念であって、自分は人間であるということのほうがより本質的な言明である。
 一般に物質というものは、その物質自身であるとともに、より大きく永続的なもの現出でもあるのだ。一見個別的で小さなエネルギーの活動も、全宇宙的エネルギーのひとつの発動である。
 万物は一時もとどまることなく生々流転していくが、ある現象はあるエネルギーの不安定が安定を求めて姿を変えつづける過程の一こまであるといえる。「生物」という現象もその一つであり、「動物」という現象はさらにその中の一こまであり、「人間」はさらにまたその中の一こまである。自分自身すなわち「自意識」というものは人間が人間であるための方法論として個体の脳の中に起こっている一現象である。
 自意識を否定する必要はなく、むしろ自意識をより自由に表現していくことで人間はより解放されたかたちへと進歩していくのであるが、だからといって自分を絶対視することが正しいということにはならない。あくまで人類という、より大きく永続的なものの一つの発現なのである。自分は。
 そのことを大きく達観した上で、自意識を豊かに発動させていく。そういう生き方でありたいと思う。

2000.01.08