自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

035.

 「同情」は「情」であるか。無論、結果においては「情」である。しかしそこに至る過程はむしろ「知」的行為なのである。人間以外の動物にも無論感情をもつものがあるが、自己の悲しみはもち得ても、他者の悲しみへの同情はあるまいと思われる。あるとしたら、それは「知」である。
 自分の愛する者が悲しみにうちひしがれているのを見て、そのこと自体が悲しいというのは、その人への愛情であって同情ではない。同情はその人の悲しみの原因を自分の体験と重ね合わせて認識し、想像力によって追体験することである。原因がよく分からなくても、悲しんでいる人を目の当たりに見ると、本当に気の毒な気持ちになるものである。そして原因が分かると同情心が湧くのがふつうである。しかし身勝手な理由で悲しんでいるのが分かると白けてしまったりする場合もある。愛情は動物的なものであり、his master's voice のように美しいものであるが、動物には許されても、人間である以上許されない誤った愛情というものもある。身勝手な理由で悲しんでいる者にも、現実に悲しんでいる以上気の毒な感情も湧くが、同情はできない。同情は無条件の愛情ほど美しくはないかもしれないが、同情できてこそ、愛情を思うさま発露させることができるのである。「知」と「情」の関係は、そのようなものである。

1998.01.19