自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

032.

 あらゆる精神的、肉体的苦痛は、遠いあこがれ、詩的な永遠の夢想のようなものを通じて、無限の宇宙に抜けてしまいうると思っていた。ところが今日、あこがれや夢想なるものは実体がありえず、苦痛の抜け道はない、と感じたとたん、恐ろしい窒息感を感じた。その感じは、単なる精神的ショックが現実の肉体的苦痛に転化していくような激しいもので、むしろ何らかの肉体的疾患が先にあって、それがそうした思考を脳にもたらしたのではないかとさえ考えられた。だが、冷静に思考の脈絡を追うとそうではない。昨夜の「生命は本来『苦』」という考えを反芻していて起こったことであり、絶望的感覚という純粋に精神的な圧迫が、現実に肉体的をこわしかねない息苦しさの感覚を生んだのである。閉塞感のたまらない重圧に、私はただ耐えた。抜けようのない閉塞状況の中にあっても、耐えるしかないと自分に言い聞かせた。死ぬのならば、耐えながら死ぬべきだと思った。そして、あるいはこの苦痛を越えてこそ、新たな「抜け道」が得られるのかもしれないではないかと自分に訴えてみたりもした。「あこがれ」や「夢」という、子供らしいジョーカーカードを捨てて、新たな認識論を自分のものとするための、避けて通れぬ体験を今しているのではないかとも考えようとした。それらは直ちには効果は見えなかったが、時間的経過が私の心の自然復旧をいくらかもたらしてからは、一定の効果を現したようである。それにしても、恐怖の体験であった。

1998.01.10