自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

025. 厠で雨を

 厠で雨の音を聞きたい……五〇年生きてきた男の、これが五〇年生きてきた末につかんだ結論的願望であった。長い間、何が自分の究極の願望であるか、迂闊にして知るを得なかった。そして見当はずれの模索を続けた。恥もかいた。苦汁も飲んだ。すべてムダだった。ムダだったという意味でのみ意義をもったムダだった。そうした愚劣かつ滑稽なムダを二六〇〇回重ねたあげく、男は卒然として悟った。人生の最大義はすなわち、厠で雨の音を聞くことだと……
 男は図書館に行って、雨の多い土地を調べた。世界で最も雨の多いのはバングラデシュの北、インドの飛び地アッサム地方である。しかし、それは雨期の集中的な豪雨のゆえであって、厠で聞くに適した雨ではない。雨はあくまで静かでしとやかで、春暖かく冬は冷たく、時になつかしく、時にうれしく、時にただ寒々と寂寞荒涼孤独の感慨を胸にしみわたらせるものでなければならない。やはり日本の雨でなければ……
 日本最多雨の土地は三重県尾鷲。しかしこれも調べてみると、どちらかというと南国性の雨である。台風の時などにどっと降る。どっと降るのではいけないのだ。蕭々と、かつ粛々と降ってほしい。ああ、そんな雨の降る土地はないかないか道頓堀よ。